Ryuji Tamuraの心体環境力学

『今日我々の直面する重要な問題は、その問題をつくったときと同じ考えのレベルで解決することはできない』(アインシュタイン)

 

 

1、はじめに

​まっさらなありのままの世界は、物心つき、「私」と「あなた」を分けることで変容します。

一人の人生、そのすべての現象(起きてくること)の、本格的な始まりです。

現代社会に生まれたものとして、あまりにも普通に、当たり前に思えるこの分観、根本的な錯覚によって、ある一人の人物(あなた)のストーリーは紡がれていきます。

 

健康or不健康、裕福or貧困、優秀or凡才、美しいor醜い、運動能力高いor運動オンチ…etc。

おおまかに云えば、こうした二極的思考に、さまざまな「程度」「頻度」「好み」…などが加わり、各個人それぞれ、独自のモノの見方、考え方が醸成されていきます。

人は、よりよい環境、よりよい境遇、よりよい人間関係を求めます。

それは生命体の「(自分が)生きていきたい」という衝動的欲求の現れでもありますが、その欲求をさらに競争的に、激しくする社会的な環境が、現代という時代には整っています。

日本のように、社会的インフラが整っている国であればあるほど、その国にとって必要な性質の人間を多くしようとするものですから、ほぼ必然的にそうした競争的環境に巻き込まれることになります。

そうして、その環境、境遇、関係性に応じた問題、悩み、辛いことが醸成されていきます。

 

「あっちがよくて、こっちはいまいち」

「〇〇さんの給料が上がったのに、オレは…」

「あの〇〇さんのお洋服、キレイよね〜、羨ましいわ…」

日常の、この世界のあらゆる場所で、こうした会話がなされています。

それはそれで、その場だけで完結すればよいのですが、人間においては、なかなかそうもいきません。

こうした二極的思考、そこで育まれる二極的価値観、さらには現代社会で特徴的な、肥大した承認欲求の絡まりなどなど…により、種々様々な「問題」が生成されます。

それは、個人的でもあり、コミュニティ全体として現れることもあり、ひいてはこの社会全体の底辺に流れる風潮のようにして、現れてくることもあります。

それは言い方を変えれば、あなた個人の見方、考え方が、「世界」そのものだということ。

あなたにみえているように「世界」は存在し、あなたがみたいように「世界」は現れてきます。

2、概要

時間も空間も、概念です。

その「あるなし」は、未だ哲学的にも、科学的にもはっきりとした答えには至っていません。

過去→現在→未来、という一方向的に流れるのが時間だと一般的に認識されていると思いますが、そう決めつけているのは、果たして誰なのか?

過去とは、いわば記憶(データ)の中にしかありません。

そして未来とは、想像の中にしかありません。

この現実には、その瞬間その瞬間という「いま」しかなく、その「いま」を次々と織り重ねて「世界」を創造し続けているのです…誰もが。

この、人間ならではの「創造(クリエイション)」という機能。

この機能は、同時に、「人間」ならではの問題、悩み、苦悩をもたらす機能でもあります。

 

 

たとえば、学生時代にイジメに遭ったことがある方は、多くいます。

それはそれで終わったこと、もう昔のことだし普段は思い出しもしないけど、ふとした時に思い出すと何だか切なく悲しくなる…そう言われる方も、多くいます。

そういう方が勤め先で、イジメとまではいかないけれど、何らかの人間関係のトラブルに巻きこまれるということは、よくあるケースです。

「どこ行っても、なんかあるんですよね…」…そうした方々の多くは、このように言われます。

過去のこと、もう終わったことという表面的な、顕在意識的認識の奥には、その終わったはずの過去の記憶に「執着」し、ずっと翻弄され続けている潜在意識的認識がある、ということです。

この場合、本人がいかにそうならないように努力したとしても、その記憶が消えない限りは、どこに行っても(ほぼ)必ず、似たような現象(起きること)に相対することになります。

 

また、身体的な病症であっても、同様のことが起きます。

 

ある方に、どういう姿勢をとっても痛い、という腰痛が起きていました。

医療の検査や、いろいろなところに行ってもよくわからないといいます。

普通に整体的な観察をすると、確かに腰部には変位やら可動制限(動きにくさ)やらは起きています。

しかし、「そこまで痛いかな…」という程度のものでした。

そこで、少し詳しく問診すると、家族のことで問題が起きていました。

そこで、そのことに関する「執着」を消滅するようにセッションしたのですが、その1回でほぼ全快に近いくらいにまで、痛みが消えてしまいました。

このような心と体の相互連関性は、未だ科学では解明されていませんが、経験的にいえば明らかに連関しているといえます。

3、力学

上記2つの例からもわかるように、「執着」という観点からのアプローチは、時に人間の目には奇跡とも思えるような現象を引き起こすことがあります。

科学的、と称する、最先端の機器でないと見つからないような物体、細胞変性、ウイルスなどの「敵」がいて、それらを「原因」とする思考に慣れた身からすれば、あまりにも意外に映るのかもしれません。

恐怖を感じたら、ほぼ瞬間的に胃のPH値は酸性に傾くといいます。

実際のセッションでも、恐怖を感じる、その相手を思い出すだけでも、全身が硬直し、目の色は変わり、呼吸は荒くなります。

その状態が続くだけでも、自律神経系には相当にダメージがくることは、想像に難くありません。

心は、体の上位概念です。

体は、心というエネルギーによって動くのですから、体に起きていることが、単純に体の仕組みだけで起きていると考える方が私には不自然に思えてしまいますが…あなたは、いかがでしょうか?

 

体と心にこのような相互連関性があるように、体の一部がほかの部分に与える影響も当然あります。

そしてもちろん、心が心に与える影響もあります。

それぞれに相互作用があり、それぞれに何らかの「力」が働いていることになりますよね?

こうした相互の連関性、作用を解き明かし、人間の心と体の健康、および人生における様々なシーンにその原理を応用していくことは可能だと考えます。

物体間に作用する力と運動との関係を論ずる…」これは力学の定義になるかと思います。

実際、心と体、あるいは体と体、心と心の間の関係性およびそれにより起きてくる様々な現象は、「力学」とした方が伝わりやすい。

心と体、顕在的意識と潜在的意識、自己の内面と外面、自己と他者…

これらの間に作用する力、運動、関係性を研究、解析し、それを施術、臨床に応用する

 

【心体環境力学(Psychosomatic environmental dynamics)】

『 TamuraTech Japan 』は、このような見地からアプローチしています。

人生とは、「個」で始まり「個」で終わる、ゲームのようなもの。

そのゲームを、ゲームとして愉しみ、満足して終わるのか、それともそのゲームに翻弄され、悲嘆に暮れながら終わるのか…それは、そのゲームのユーザーであるあなた次第。

 

​運命を呪うもよし、その運命を切り拓くのもまたよし。

【心体環境力学】は、そのユーザーであるあなたの、様々な「環境」を整えることに役立ちます。

 

このゲームは、どちらにせよ1度しかありません。

それならば、思い切り愉しんでみたらいいと、私は思います。

​ご縁ある、そして勇気あるゲームユーザーのあなたとの出会いを、楽しみにしております。